スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

| - | | - | - | pookmark |
自分のルーツが間違いなく音楽だと思った瞬間
とは言え、最近脳みその構造がだいぶ変わってきてる気がしてならない。
ピアノを弾いていた頃にはありえなかった事が次々と起こるので、こりゃまずいなぁと思う。

例えば最近は聞いたことはすぐにメモしておかないと頭にとどめておくことが非常に難しい。
情報のinput量がどんどん多くなってきていることには違いないのだが、
以前はこのようなことはなかった。

また会話をしているとき、走っているとき、なんでもそうなのだが、
以前の自分であったなら、会話をしながら2つ3つくらいのことは同時に思考することができた。
当然いくつかの話をいっぺんに聞いて理解して返答することもできた。

話の流れがなんというか頭の中でものすごく立体的に組み立てられていた。
自分自身の話のゴールが話始める前から明確で、
どんなに話がそれても常にゴールが頭の中で明確にイメージされていた感覚が確かにあったのだが、
それがどうも最近希薄になってきている気がしてならない。

これはよろしくない、
自分自身のルーツが、音楽大学へいってから
ビジネスの世界に入ってきた強みがひとつ失われてしまう。
ルーツを失わないために週に一回でも二回でも、
ピアノを弾くべきだなぁと痛感する。

とはいえ自分自身の体重管理もままならない現状では
非常にハードルが高い。

フーガの演奏などは最高に脳みそにとってはいいと思う。
自分自身にとってプロジェクトや会社とは小規模ならフーガであり、
大きなプロジェクトとはシンフォニー(交響曲である)

常にフーガの1〜2曲くらいは演奏できる状態を維持していたいものだ。

----------------------------------------

そして向かう先は指揮者としての自分

プロジェクトや会社とはなんぞや?と考えたときに、
私にとってプロジェクトや会社とはフーガであり、ソナタであり、
時にはシンフォニー(交響曲)である、と思った。

例えばメロディラインが4声で構成されているフーガがあったとする。
詳しい人はJ.S.Bachの12平均律のためのプレリュードとフーガ1巻の、
ハ長調のフーガを思い浮かべてほしい。

フーガにおけるテーマ(主題)とはもっともクローズアップされるラインであり、
たいていの場合は4声のうちの3声は伴奏のような動きをする。

ある声部でテーマが現れたとおもったら、
それを追うようにまた他声部がテーマを奏でる。

ひとつひとつの声部は独立したプロジェクト要員だとして、
それぞれの流れはいたるところでクリティカルなパス(小さな流れの終わり)に合流する。

どの声部にとっても向かう先、ゴールはそのような小さな終わりであり、
最終的には曲の終わりである。

だらだらと統制を失ったフーガは実にみっともなく、
かといって何の変化もないフーガもおもしろくはない。
多少のルバート、カンタービレはほしい時も多い。

それぞれに許される時間的成約の中でのルバート(自由)は、
節度を持って最大限にカンタービレを望む。

それが最高にかっこよく、美しくあったりする。

多くのカオスをひとつの曲としてまとめる時に、
ピアノではそれぞれの独立した声部を一人がコントロールする。
またオーケストラであれば指揮者がコントロールをする。

この(4声のフーガの)場合ピアノであればプロジェクトマネージャと4役の人間を一人の人間がを演じなければならない。
指揮者であればプロジェクトマネージャとして、それぞれの役者に対して時には押さえ、時には引き出し、また全体としての調整を行わなければならない。

どちらの立場もとてもエキサイティングな役割だ。

但し、この2つのうち自分が成りたいと望んでいる方向は
一人のピアニストではなく一人の指揮者の方だ。

指揮者として全体の音楽を考えて、
一人ひとりが最大限輝けるような指揮をすることに
人生のすべてを懸けたいと思っている。

- ベートーヴェンの第9番交響曲から -

緊張感を持った1楽章から、
2楽章、スケルツォ、
3楽章の緩徐楽章を経て、
終楽章へ向かう。

すべての楽章がしっかりした形で、終楽章へたどり着き、
フィナーレへと向かう。

Freude, schoner Gotterfunken,
歓喜よ、神々の麗しき霊感よ

Tochter aus Elysium,
天上の楽園の乙女よ

Wir betreten feuertrunken,
我々は火のように酔いしれて

Himmlische, dein Heiligtum!
崇高な汝(歓喜)の聖所に入る

Deine Zauber binden wieder,
汝が魔力は再び結び合わせる

was die Mode streng geteilt
時流が強く切り離したものを

alle Menshen werden Bruder,
すべての人々は兄弟となる

wo dein sanfter Flugel weilt.
汝の柔らかな翼が留まる所で

すべての仕事に感動を、すべての顧客に喜びを、すべての仲間に幸せを。

すべては実現できる。
| MyWay | 14:38 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
国士
これからはじまる事業は、
この国を、世界を良くする事ができるのか?
この国にとって、世界にとって、プラスにつながるものなのか?

自分がこの一生を終えるときに、
どれだけたくさんの事を成し遂げられるのか。

小さくなくていい、大きくていい。大きな事をやりたい。
でも、小さな事から、できる事から。

目標は最大限に大きく。

この世の中のありとあらゆるところへ、
大きな痕跡を残して逝きたい。

今できる最大限を。

多くの人を幸せにするイメージを強烈に。

がんばっていこう!
| MyWay | 11:22 | comments(4) | trackbacks(0) | pookmark |
過去を振り返って
こんにちは、初めましてSKCこと市原俊亮(いちはらしゅんすけ)です!
どうぞよろしくお願いいたします!

現在職業はシステムエンジアして活動している
フリーランスの25歳です。現在こういったIT業界で仕事をしています。
初回の今回はここまでの自分の人生を振り返ってみたいと思います。

 私はつい数年前(20歳の時)までは某音楽大学でピアノ演奏を学んでおりました。
特にフランスの作曲家を好んでおり、
Chopin(ショパン)Ravel(ラヴェル) Debussy(ドビュッシー)が大好きです。
ショパンはポーランド出身ですが20歳の時にフランスへ移り住みました。

実に紆余曲折がありました。
ピアノ演奏を生業とすると言う事は一日でもその練習を絶やす事は許されません。
学生時代は一日の練習時間は10時間が当たり前で、多い日には20時間の練習をしていました。
当時私自身飲み込みが早い生徒ではなかったのと、本気で勉強を始めた時期が遅かった事もあり、本当に必死でした。

話は少し変わりますが、
しばしば見受けられる一般論として
<音楽大学にいく人間>
1、絶対音感がある
2、どんな曲でも楽譜を見ればすぐ弾ける
3、裕福な家庭に育っている

というような事を聞かれますがこれは私にはあまり当てはまりません。

1、絶対音感がある
  絶対音感とは非常にあいまいな定義で、例えばひとつの音が鳴ったときにその音が12平均律(ドレミファソラシド)の中のどれに該当するのかがわかる程度の絶対音感から、一度に24つの音(24和音)をすべて答えられるような絶対音感まで非常に幅広いものがひとつの言葉として収められています。私にできたのはせいぜい4和音まででそれ以上はわかりませんでした。

2、どんな曲でも楽譜を見ればすぐ弾ける
  これもだいぶ間違いです。このような行為を初見(初見演奏)といいますがこれらは個々の積んできた練習量、反射神経、図形解析能力、運動神経など非常に多くの能力を求められます。簡単な曲なら弾けるけれども、ある程度以上になると・・・というのが私のレヴェルです。

3、裕福な家庭に育っている
  これに至っては相当間違いです。私だけではないですが、中にはもちろんこれら3つの条件を兼ね備えた学生もいましたが、多くの学生はどれにも当てはまらない、もしくわ1つくらいは該当する。だいぶ少なくなって2つくらい該当する程度で、すべてにおいて該当する人は本当に一握りの人間のみでした。

 多くの音楽大学生は非常に苦しんでいました。
自分が演奏しなくてももっとよい演奏ができる人は世の中にたくさんいるのだから、なぜ自分が演奏をする必要があるのか。こんなことをやっていて将来ご飯を食べていけるのかどうなのかという不安。男の人は収入が少ないために独身の人も多く、また奥さんに食べさせてもらってる人も少なくないはずです。それでも音楽を続けられた人間は、本当に音楽が好きな人(これしかないと思い切れた人)、やめる決心がつかずにだらだら続けている人、嫁入り道具の一つとして考えている人くらいではないでしょうか。ここで私見なのですが、趣味としてなら楽しく続けていく事ができる人、仕事としてやっていける人間の2つに分けられるのではないでしょうか。私は前者ではありませんでした。
 しかし辞めたからといって何も残らなかったわけではありません。私の中には私だけの音楽が今も流れており、その音、リズム、フレーズはまったく同じものを持っている人間はこの世に誰一人としていませんし、また超一流の人間と触れ合う中で培ってきた言葉にできないセンスはかけがえのない財産であると考えています。
 では何故辞めたのかというと、自分の内側から湧き上がる声に従う以外に無かったとでもいいましょうか、ピアノ以外に対する好奇心がピアニストとして生きる道に幕を下ろしたのです。
 多くの人にこの話をした時に言われる言葉は「勿体無いなぁ」です。今も当時の教授にお世話になっていて、遊びにいった際には「あなたは才能があるのだから続けるべき」、つい最近も「そろそろ戻ってこない?」という言葉です。この教授は日本音楽界重鎮な方です。しかし非常にありがたい言葉ですが後悔はまったくありません。他にやりたい事が具体的にあって辞めたわけでもないのにです。
 
さてさてかなりながくなってきましたので続きはまた追い追い書いていきますね。
では皆様よい一日を!
| MyWay | 08:30 | comments(3) | trackbacks(1) | pookmark |
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
CALENDAR
S M T W T F S
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
2627282930  
<< November 2017 >>
SELECTED ENTRIES
CATEGORIES
ARCHIVES
RECENT COMMENT
RECENT TRACKBACK
モバイル
qrcode
LINKS
PROFILE
SPONSORED LINKS